今回は、田中克彦さんの「言語からみた民族と国家」を紹介します。この本もユングやアインシュタインの本と同様、京王百貨店の古本市で見つけたもので、ちょっと難しいかなと思いましたが何とか読めました。
とりわけ印象に残ったのは、「言葉は生きている」「民族語と国語(国家語)はちがう」という主張です。前者では、たとえば「ら」ぬき言葉を例にとって話し言葉の尊敬と可能を区別するには「ら」ぬき言葉を用いたほうがわかりやすいという話をして、文法をもとにした書き言葉よりも時代によって変わる話し言葉の優位性を説いています。また、後者では、旧ソヴィエト連邦にみる多民族国家の言語政策から、民族=言葉=文化であり、言語を共有せずに文化を共有する難しさを説いています。(もちろんユダヤ人のように共通の言語をもたずしても強い意識のつながりによって民族たる例も示しています。また、日本は国家内の民族的対立をあまり意識していないために民族と国家の関係に鈍感になっていることも指摘しています)
わたしたちに欠かせない言葉を題材にして民族や国家のすがたを浮き彫りにしていく洞察力の鋭さには舌を巻きました。いま話題のチベット問題も、中国という国家のチベット民族に対する侵略であり、それはすなわちチベット民族の言葉や文化の廃絶を意味することが、この本を読むとよくわかります。ただし、中国政府を批判するとき、日本がアジア諸民族の文化を蹂躙した過去や、アイヌ人など少数民族に対して日本語を押しつけている事実を忘れてはいけません。この本から、わたしたちにとって大切なのは親から伝えられる母語(≠母国語)であり、文化はいま存在する人々が言葉を継承・改変して育むという原理を、あらためて認識させられました。言葉って奥が深いですね。
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